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「時柄前夜(ときがらぜんや)Vol.2」 ❶ライター前夜

18歳で愛知県岡崎市の実家に戻ってきて、これまで我慢してきたことが決壊したように、さまざまなことに興味を持ち、バイトをしてお金を稼ぎ遊びに遊んだ。

新たな趣味が見つかり、マニュアルの一眼カメラを片手に一人旅に出たり、本をたくさん読み、文章を書き、絵を描き、哲学書を読んだ。

フリーター生活を一年半過ごし、成人式を迎えた20歳の4月。周りでフラフラしていた友人が、将来を考えて就職し出した。

自分もそろそろと思いながらも、特別にやりたいことがなく、とりあえず「金を貯めて次のチャレンジに備えることにした。

新聞販売店の社員から新聞奨学生になり、夢に向かって夜を駆ける。

体力だけを頼りに手がかりのない夢に向かって歩き出す

中日新聞販売店の社員として就職し、2年間で貯めたお金を費やして予備校に通い、体育大学に進んでスポーツトレーニングコーチを目指そうと思った。

近所の子供達にソフトボールの監督として、教えた経験が理由だった。もう一度あの世界に戻りたい、単純な思考回路はそんな答えを導き出したのだ。

2年間の浪人時代を経て挑戦した2回目の大学受験も失敗した。

若年でありながら、絶望の縁にいた。打ちひしがれていた。今度は大丈夫という判定をもらっていながら、本番前に高熱を出してしまう運の悪さというか、メンタルの弱さ。

1年目の浪人時は自分の意思の弱さに負け、自信を持って勉強や実技の訓練をしたとは言えなかった。

そして愛知県から東京に引っ越して、読売新聞の新聞奨学生になってまでさらに一年間の浪人生活を過ごしてもまた、失敗してしまった。

この先には何もない。夢も希望もない、とにかく虚しかった。

新聞奨学生は、一年契約なので、再度チャレンジしない場合は販売店の寮を出なくてはならない。

進路も何も決まっていなかったが、たまたま大学院を卒業したばかりの、幼馴染が横浜で暮らすということを聞いた。それなら横浜で一緒にアパートを借りて住もうかということになった。

助かった。何も成し遂げずに、また負け犬のまま愛知県に帰るわけにはいかなかった。

野口英世よろしく「志を得ざれば再び此地を踏まず」ほどのかっこよさはないが、次地元に帰ったらだめになってしまうと思ったに違いない。

東京から横浜に移り、友人との共同生活が始まる。

独り立ちできず、何の手応えもない24歳の4月だった。

居酒屋などの飲食の仕事は性に合っていた。同世代の仲間と働くことは楽しかった。

横浜の三ツ境というところで数年暮らした。24歳から28歳までそこにいた。

その間色々なバイトをして、大手居酒屋チェーン店のキッチンバイトで入り、やがてホールに出て、時給が上がり気がついたらバイト店長になっていた。急拡大するチェーンの居酒屋では社員の数が足りなくなり、夢も希望もない年頃のフリーター達は何かを諦めて安定した正社員の道に入っていった。

落ち着くところに落ち着くのが世の常で、そのこと自体は気にならなかったが、彼らの顔は不安さを滲ませてはいるが、一様にほっとした顔をしていた。

まず、安定していて、それなりの給料が固定でもらえるというのは、今から考えれば贅沢な話だ。

彼らの様に就職しなかったのには理由があり、自分には新たな夢というか、熱中できるものが見つかったからだった。

バイト以外の時間、バイトの休憩中も、さまざまな本を読み、文章を書くようになっていた。

作品を作るために様々なツテに頼って取材させて頂いた。

 

なりふり構わずライターを目指す

東京の高田馬場にある日本ジャーナリスト専門学校の夜間部、フリーライター養成講座に通い、自分で作った「フリーライター」の名刺を手に自称ライターの道を進んでいた。

その頃、自分ではライターと名乗っていた。「仕事はないけど、何か?」という状況だったが、とにかく日々、誰にも読まれない文章を書き、本を読んだ。文章読本を読み、文章力を磨いた。

仕事に就くために、ライターや編プロの編集者の仕事を探した。書類選考も通らない。

編集の仕事につくには高い壁があり、それを突き破るには、

・学歴 ・文芸や小説公募で賞を取るか ・ライターや編集者として仕事の経験があるか  ・バイトで入り込むか・イラストレータやフォトショップやクォークエクスプレスなどの組版ソフト(DTPソフト)を使える

かそういう人しか編集系に就職できない時代だった。

インターネットもまだ一般的ではなく、クラウドサービスでライターの仕事を受けられる様なプラットフォームもまだなかった。

またも挫折しそうな匂いがしてくる。

ここにいてはダメだ、横浜から東京方面へ。東京は家賃が高いので、埼玉県の所沢に引っ越した。

その時バイト先で一緒だった女性が色々と段取ってくれて、アパートを借りることができ、洗濯機も用意してくれた。

不安な気持ちが先に立った。

(❷グラフィックデザイナー前夜につづく)

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