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時柄前夜 vol.7 番外編 ~短夜の雨(みじかよの雨)

時柄前夜vol.7 番外編 「短夜の雨」

番外編には副題をつけてみました。短夜の雨とは、梅雨どきの雨のことで、梅雨の最中夏至の頃は、一年で最も昼の長い時節ということです。(夜が短い)その意味する所は、会社員デザイナーとして起きて働く活動時間のとても長い時期でした。半死半生で取り組んだその時の集中的なデザイン激務によって、初めてデザインの地力が付いたことも間違いのないことでした。

そして、その時に貯めたものが今花開こうとしているのです。

会社から離れて、短い夜の時間は心と体の修復に充てられますが、デザインのことを忘れて眠った日はありません。

短い夜に願った人生を今、トキガラデザインのデザイナーとして歩んでいます。

『枕草子』の冒頭で、「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍おほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」と、清少納言が夏の最もすばらしい時間帯は夜といっていることはよく知られている。同時にその時間には、明けやすさを恨む男女の後朝(きぬぎぬ)の情も重ねられた。そのため『古今集』や『新古今集』には、夏の夜の短さをかこつ歌が多い。このような夏の夜に対する思いが「短夜」のことばとしての背景にはある。

https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/28.html

【夏の夜の夢】夏の短い夜のように、叶うか分からないが、何かを目指した必死な日々こそが、かけがえのない人生の時間なのかも知れません。

独立してどうなりたかったのか?何を手に入れたかったのか?そして日々の仕事や活動で何をしたかったのかを創業記念日に、再度原点に立ち止まって考え、これからの道を模索していきたい。

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2022年の9月29日に、デザイナー講師としてメジャーデビューした愛知県主催「デザイン経営セミナー」が行われデザイナーになった16年前には、思いもよらない寄港地となった。

デザイナーとしてスタートしたものの、思った以上に厳しい世界で、何度も何度も諦め、挫折しかけたこともある。

その修行の最中、自分を支えてきたビジョンがある。「実力を付けていつか地元に戻り、デザインについて講演したり、地元に貢献したい」というイメージが自分を支えてきた一つの理由で、独立後5年ほどで、それが叶った訳だった。

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トキガラデザインは2016年の10月17日に創業し、2022年10月17日に創業7年目を迎えます。

プロのデザイナーとしては遅い31歳からキャリアをスタートし、その時から40歳に独立することを決めていた。決めた通りに40歳の最後の月に独立することができた。

その16年を振り返ると、まずは自分で決めることが大事だと分かる。決めて、イメージし、決めたゴールを達成するために日々を必死に努める。事業や会社経営においてビジョンが大事だというのも、自分の経験からも分かっているつもりだ。

さて、昨年は創業5周年を記念して、トキガラデザインになるまでの「時柄前夜」を5回に分けて連載してきた。今年は、デザイナーの1歩を踏み出した東京乃木坂にあったデザイン事務所の跡地を訪ね(原点回帰して)ここからまた新たな旅に出る前に原点を思い返してみたいと思った。

16年という歳月は、過ぎ去ってみると2100日という日時が過ぎたと思えないほど、その歩みは驚くほど早いものだった。その日々はデザインという仕事とどっぷり・じっくりと向き合ってきた日々であり、Designの語源ラテン語の「デジナーレ」その言葉が意味するように「想いをカタチに」してきた日々だった。

時柄前夜。トキガラになるまでには以下のような自分の中の各時代を超えてきた。

・人生混迷期時代(自分探しのモラトリアム期間)フラフラ期ともいう。

・デザインの学習期及びデザイナーの就職活動期。デザインと出会い風の流れが変わる。

・グラフィックデザイナー期(印刷・SP広告会社勤務のインハウスデザイナー)

・Webディレクター期①(ITベンチャー)京都から名古屋へ転勤。15年の時を経て愛知に戻ってくる。

・Webディレクター期②(老舗のWEB制作会社)名古屋で活躍する。

・Tokigara  Design(トキガラデザイン)として独立する

              ▼  イマココ  ▼

・デザイナー講師としてイベントに参加し新聞やテレビに載る。愛知県のデザイン経営セミナーに登壇する。

おおよそのことは時柄前夜の連載で書いてきたように思う。1年前には書けなかったことに触れていきたいと思う。

デザインの仕事をする喜びより、独立するまでの10年と独立してからの3年間は、辛いことの方が圧倒的に多かった。この時代に二度と戻りたくないとすら思う。

【壁を越える時】

振り返るとピンチになったり、難関が訪れた時にこそその進化を発揮する。いわゆる負荷がかかった時に折れずに、粘り腰が強いということ。決してメンタルが強いということではなく、鈍いところは鈍く、基本的には神経は敏感で繊細だと思っている。

おやっ、とこの記事を書いていて思った。これって『キン肉マンじゃね!?』と。

改めて説明する必要もないと思うが、キン肉マンとは、私が少年時代に読んでいた漫画で、週刊少年ジャンプの王道漫画。当初はギャグ漫画だったが、「オンボロ小屋に住む、貧乏な超人が本当はキン肉星の王子で、子供の取り違いで地球に捨てられたものの、たくましくヒーローを目指して奮闘する物語だ。

そのキン肉マンが、元々は95万パワーしかないが(バッファローマンは1000万パワーでマンモスマンは5000万パワーというある意味いい加減な)自分より強い相手と戦っていくごとに火事場のクソ力や友情パワーが発動し、勝ちを拾いながら、強い仲間が彼を助け、最終的には悪から地球を守り、実績を認められキン肉星の王位にたどり着く。

婚約者のビビンバと結婚し、従者のミート君も祝福の中、ハッピーエンドを迎える。まるで、キン肉マンのようではないか、と思ってしまった。キン肉マンのような、火事場のクソ力を発揮しているのではないか、そういうタイプなのではないかと思った。

自分がいた頃のビルとは変わり、おしゃれなビルに建て替わっている。エルマノス赤坂という名称だった。

デザイナーのスタートは、東京乃木坂にあるマンションの一室。ワラバレー赤坂の401号室だったかな。デザイン広告制作事務所というのはあの時期、DTP(デスクトップ・プリプレス)が一般的になりつつあり、図体のでかいパワーMacでゴリゴリやっていた時期。

本棚にはたくさんのデザイン関連書籍や参考書などが並び、それを全部見るのに2年はかかるのじゃないだろうか。

室内は一日中J-WAVEのラジオが流れ、出社するといつものジングルが流れてくる。デザイナーとして歩み出した31歳の期待感は1週間ほどで打ち砕かれていく。夕方になるとこの時期デビューしたての歌手の綾香の曲『三日月』がよく流れていた。※この曲を聞くとこの当時を思い出す。

入社当初は期待され、席も外が見えるいい場所だったのだが、2週間ほど経つと席移動を命じられ、PCのスペックも極端に落ちた。さらに作業効率が悪くなる。今から思えばこの時から、辞めさせるための助走に入っていたのだと思う。

ただ、何事にも「第一歩目」が必要である。どんな場所や経験であろうとも、その一歩に価値があり、それを次に活かす糧にするか、落ち込んで潰れてしまうかは自分次第。

私はかろうじて、前者だった。

クビになった経験を糧に再就職し、大阪に転勤する

ここで一度クビになっている。半年ほどでクビになった。会社近くのカフェで社長から告げられた。今思えば、人生の経験としてはネタになるのでこの経験は大きいがその時の自分には死刑宣告に近い。人生最悪の時期だった。その時、後1ヶ月ほど働いて、退職日はいつと言われたが、そんなことはどうでもよかった。

デザイナーとしての始まりは、思っていたよりずっと厳しく、悲しい最後だった。

結論から言えば、そこから半年後の11月1日に再度その会社より遥かに規模も大きく、ちゃんとした印刷会社にデザイナーの正社員として採用される。

青山一丁目の地下鉄の駅を出ると左手に赤坂御苑が見える。そこから西に行くと表参道、東に行くと赤坂見附・永田町、南に少し上がると六本木だった。

東京の中心でようやく安心してデザイナーとしてのキャリアがスタートした。一つの挫折を乗り越え、少し成長した自分がそこにいた。

アルバイトから32歳でデザイナー正社員として東京で勤める。文字に起こせば大したことないかもしれないが、二年間頑張って入った会社を半年でクビになり、そこから立ち上がって奮起し、正社員をゲットする。振り返れば、今の自分がある大きな要因の一つがこの出来事かもしれない。(※大阪ではもっと厳しく辛い試練が待っているのだが。。)

苦しみの最中で人の3倍速で成長する方法、5倍速で成長するスキルや考え方を身につけられたのだ。

その後、東京の事務所では1年半ほど勤務した後、大阪本社に移動になった。HP業界やWEB業界が活況になり、紙媒体の広告業が非常に調子が悪くなってきた時期だった。

会社としての体力やデザイナー部隊の本隊のある本社の方がしばらくは安心して、経験を積める。兄に電話をしてみた。

「今のお前には大阪行くより他の選択肢はない。独り身だし大阪行けよ!」迷いはなかった。所沢のアパートを引き払い、大阪の旭区(千林商店街の近く)会社から自転車で5分の所に引っ越した。

会社からは30分圏内に住むように言われていた。かなりブラック臭が漂ってきた。 
※この辺りの話は時柄前夜vol3グラフィックデザイナー前夜に詳しい
https://tokigara-design.com/cms/2021/09/29/tokigara-storyvol-3/

Web業界に移り京都で働く。短い夜が明けた頃。

独立してどうなりたかったのか?

大阪に転勤したのが33歳の頃、名古屋に戻ってきたのは38歳の秋口だった。そこから1度転職し、2016年に独立した。独立することが目標ではない、成功することが目標なのだ。

独立してどうなりたかったのか?何を手に入れたかったのか?そして日々の仕事や活動で何をしたかったのかを創業記念日に、再度原点を振り返ってみたかった。
それが明日からの活力になるのだ。

そもそも、なぜ独立しようと思っていたのか?

いくつか理由を考えてみる

  • 会社員(インハウスデザイナー)としてはスタートが遅くハンデが大き過ぎた
  • 性格的・タイプ的に会社に長く勤めるより独立するのは必然だった
  • 職業柄実力が付いてくると独立した方が稼げるし、自分のペースで働ける
  • 自分のやりたい仕事ややりたい方向に舵を切れる
  • 積み上げたものが全て自分のもの(資産)になるということ(顧客基盤・実績など)
  • オフィスの選択やどこの地域に事業所を出すか選べる
  • 突き詰めたいデザイン領域を選択できる。大学やデザイン研究職の方向性も模索できる
  • 最初に師事したデザイナーの先生の活動の仕方がカッコ良かったし、羨ましかったのが大きい
  • リスクはあるけど、自分の人生と同じように誰かに頼るのではなく、成功も失敗も全て自分の力で構築していくところが面白そうだし、チャレンジ(冒険)してみたかった
  • 今のところ、本当に独立して良かったと思う。成功はまだしてないけど、土台の基礎はできた
  • 刺激や憧れを与えてくれる経営者やデザイナーと会えること
  • etc・・・
達成したい状況にはまだかけ離れている。憧れの先輩経営者と会うことができ、まだまだ全然という気持ち。

何をもって成功と言えるのかは人それぞれだけど、今の自分は成功とはとても言えない。

東京や大阪にいた頃には「飢えや渇望」のような気持ちがあった。ここ最近はなかったのだが、また「飢える気持ち」が戻ってきた。

これで満足してない?まだまだ全然?という気持ちが沸々と湧き上がってくる。こんなところで満足していないし、事業を運営してきた中での悔しさや傷がある。

独立してからの5年間は、地方で商売することを学んだ時期だと思う。先輩経営者の方々からいろんなことを学んだ。同時に地元や地域に貢献する活動もしてきた。

少しづつやり方がわかってきて、次の展開を模索していたところ、もう少し広い世界でがむしゃらにチャレンジしてみたいという気持ちが戻ってきた。

40代中盤になってくると、20代から活躍していた人たちは一様に落ち着き、停滞してくる。ある程度実績を積み、周りから評価もされていてお金も結構稼ぐようになっている。

私の方は、同年代と比べると12年一回り遅れているから、これからが伸び盛りの時期に入ってくる。

伸びる時期にはエネルギーがいる。成長痛の中学生みたいに、やればやるだけ伸びる時期というものがある。

大事なことは、その時期に何を目指し、何をやるかということ。

短い言葉で言えば、デザインを使ってより良くしていきたい。最近では「デザイン経営」の支援や講演の活動に力を入れている。高度デザイン人材として、仲間と一緒に、デザインの力で未来を設計していく人材になっていくのだ。

そのことに情熱と喜びと関心を持ってやっている。

愛知県のデザイン経営セミナーに登壇した時の記事です

これからのトキガラデザイン(Tokigara Design)

トキガラデザインも7年目から10年目にかけて、もっと飛躍する。

想いをカタチにする。デザインの語源ラテン語の「デジナーレ」の中には、想いをカタチにするのがデザインという意味が込められている。

具体的には?

これまでの取り組みの中で成果に繋がらない部分を見直した上で改善し、新たな施策に対してどんどん行動していく。動きながら考え、さらにフィードバックを受け、学び、実践し、またその過程を楽しみながら競合と切磋琢磨し、進んでいく。

ビジョンを持ち、変化の激しいVUCA時代の中でデザインのことを毎日考え、活動時間を増やし、ありたい姿に向かって精進していく。

トキガラデザインは少しづつ形状を変えても継続していく。
トキガラとは「時節柄」から作成した屋号だ。適者生存のコンセプト。

私が目指すトキガラデザインの姿とは、どんな時代に変化しても常に適応していき、柔軟でもっとも強い存在でいること。それはクライアントにとっても最も心強い援軍になるはずだから。





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