捨てられなかった本
父が他界して一年が経った。4月29日が命日だった。
肉親が亡くなった寂しさは一年経ってようやく心の中の違う部分に整理されて、落ち着いてくるという。この一年という時間は、私のこれまでの人生の中でも異質な時間の経過だった気がする。
その一年が経ってみて、ここ数日は「うん、これがそういうことか」というように、父の喪失感が心の違う部分に整理された実感があった。
1週間前に家族揃って墓参りをし、一周忌の法要を行った。この一週間は父のことを考える時間がたくさんあって、うとうとしていると不意に私の名を呼ぶ父の声で「はっ」と起きるような出来事もあった。勘違いかもしれないが、一周忌の期間に父が近くに感じられたのだった。
一年前、父が亡くなり通夜や葬儀を終え、しばらくして父の遺品整理を行った。母から父の蔵書を廃品回収に出すように言われて、処分できるものは処分し、父が読んでいた本の表紙を見たりしてどんな本を読んでいたのか確認していた。その中には父が60歳の還暦を迎えた時に、プレゼントと手紙と一緒に送った本が入っていた。
『無名』沢木耕太郎の本だ。
そんな思い出が想起しながら、父の蔵書を見ていると、そのまま処分する気にどうしてもなれずに、事務所の倉庫に保管することにしたのだった。ビニール紐に縛られたままの本の束が3つ、捨てられないまま一年間ずっと倉庫に鎮座していた。
このブログのタイトル「捨てられなかった本」達のことだ。
昨晩、仲間と久しぶりに飲酒をし、そのまま事務所に泊まって、五月晴れの今日、朝起きると久しぶりの太陽に仮眠用の毛布を干し、急に倉庫の整理をしたくなって、細々と片付けしていると、捨てられなかった本の束が気になった。
「明日は廃品回収だし、そろそろ片付けることにしようか」そんな気分になってきた。改めて本を手に取ってみると、その中には『死ぬことと見つけたり上・下』もあったが、その中で目を引いたのが
『中国・パキスタンの旅(おじさんシルクロードを行く)』『ひとり歩きの英語自遊自在』という二冊の本だった。
あれ、と思った。息子から見た父の関心ごとの中に、海外や海外旅行(しかも一人)という文脈は想像できなかった。
ただ、、とも思う。
団塊世代で、高度経済成長の期間にサラリーマンをしていた父は、会社の慰安旅行によく行っていた。
シンガポールや台湾など、今では考えられないが会社のお金で海外旅行に連れて行ってもらえるという素晴らしい時代だった。
海外旅行のお土産をいつも買ってきてくれるが、海外の話や海外旅行での話しを詳しく話してくれたことはなかったから海外についての父の思いや認識を知ることはなかった。
その2冊の本から、どのような気持ちで海外へ思いを馳せていたのだろう?そんな風に仕事柄、洞察・思索するようになった。
- 息子から見た、父の好きだったものやこと
・野球観戦
・プロ野球中日ドラゴンズ
・少量のお酒
・学生時代の友人との付き合い
・庭イジり/エクステリア造成
・買い物
・料理
・テレビを見ながら部屋の中でゴロゴロ
・家族へのちょっかい
・テレビ / 新聞 / 雑誌 etc
1944年3月14日生まれの父は、団塊世代で、1947年11月29日生まれの沢木耕太郎と同じぐらいの時期を生きてきたことになる。
『深夜特急』や多くのノンフィクション作品で有名な沢木さんは、私の大好きな作家の一人だった。その深夜特急は乗合いバスでインドのデリーから、イギリスのロンドンまで行く、物語だった。
父から沢木耕太郎の深夜特急の話は聞いたことがなかったが、父もまた、あの時期を過ごした者として、アテのない海外一人旅という冒険を夢想していたのかもしれないのだ。
それはわからない、あくまで私の妄想の域を出ないが、仕事をし家を建て、家族を養い、現実的には叶わない海外一人旅を本を読むことで楽しんでいたのか、あるいは「いつか」という願望を胸に抱いていたのか、そんな風に感じている。
父の蔵書の中の2冊の本だけは、手元に置き、その本をペラペラと読んでみる。
現状のコロナ禍では、簡単にいけるような場所ではないが、私も「いつか」父が叶えられなかった海外一人歩きという冒険を果たしたいと思っている。
これからの人生を、また違った目的で生きていきたいと気持ちを新たにしている。
そのための仕事、そのための活動、自分の気持ちを大切に、健康的に生き生きと、時には冒険するようなこともやりながら、大切に時間を使っていく。
無名に生きて
父の60歳に送った『無名』という作品は、沢木耕太郎の父が亡くなる前後の家族の出来事や気持ちをまとめた、自分と父を題材としたノンフィクション作品だった。
その本を読んだ時に、その本の内容にある父と子の関係がよかったのと、無名の市政の人の人生もこのように美しい人生なのだという印象があって、その本を選んだのだった。
沢木耕太郎の『無名』の内容詳細はこんな風に書かれている。
父が夏の終わりに脳の出血により入院。秋の静けさの中へ消えてゆこうとする父。無数の記憶によって甦らせようとする私。
父と過ごした最期の日々。父の死を正面から見据えた沢木文学の到達点。書き下ろし長編。
1年前、雨間の虹の中へ旅立っていった父を、沢木耕太郎がそうしたように、無数の記憶によって甦らせることができることに気づくことができた。
このように文章を書くことで、父との思い出を蘇らせながら、父のいない人生という現実を心の違う部分に整理する儀式のように文章に記していく。
すっきりとして、それでいて何か意味があるような時間になっている。
父が好きだった高倉健主演の『単騎千里を走る』をこの連休では観ることにしよう。
あの映画では、父役である高倉健と息子役の中井貴一が仲違いしたまま息子の方が病魔に襲われ永遠の別れになってしまう悲しい関係性の話しだった。
私の場合は、父の病気が分かってから病院に付き添い、車で送迎し、家族で最後の旅行に行ったり、たくさんの会話時間の中で理解し、また理解された時間があった。仕事の悩みで苦しんでいる時には、友人のように話を聞いてくれた。
父と過ごした最期の日々は、私の中で宝物のようにキラキラと輝いている。
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