
2024年10月17日に創業9年目を迎えることができた。
時柄前夜 vol.9として、ちょうど9年目からのトキガラデザインの活動について考えていく機会にしたい。
だが、一方で昨年は今までになく大変な1年だった。なぜ今の仕事をしているのか、そしてこれからも同じようなスタイルで、この仕事をしていくのか?
それすらもわからなくなるような出来事があった。
改めて、デザイナーとして駆け出した20代後半から30代前半の東京の頃を思い返し、原点を見つめ直した上で、前に進んでいきたいと思った。
年末に、父方・母方それぞれの墓参りに行く。ふと、20年前に記憶が遡る。20代後半の頃、就職活動用の作品集ポートフォリオが2年の就学の末に完成し、ここから道を切り拓いて行くんだ、とB4サイズのブックタイプのポートフォリオを墓参りの際に持参し、なんとか就職を、とお願いしたのを覚えている。
父からは「墓参りは基本、報告。お願いするものではないよ。」と言われたが、神頼み、先祖頼み、なんでも良い、とにかく必死だったのだ。
周りの人間に無理だ、不可能だと言われ続けた。インターネットが主流になってフリーランスやwebデザイナーになりやすい今の時代とは全く違うのだ。
ポートフォリオを抱えて面接に行けば「才能ないね」「この先厳しいよ、飲食に戻った方がいいよ」「君のこの作品何日でやった?うちのデザイナーなら30分でできるよ」
面接に赴けば、こんなことを言われるケースはよくあった。さらに、30歳前後では定職が定まらず、アルバイトでデザインの専門学校に通う、東京住まいのフリーター。
「また挫折するのか」そんな想いが幾度となく押し寄せたこの頃。4年ほど続く長い戦い。非難する同級生に対して、応援してくれる家族。忘れない。
年1で集まる、地元の同級生達は、 4年生大学を出て大手企業や金融機関に就職し、高給取りになり、結婚をし子供を育てていた。理想的な人生の歩みの中で、30歳で将来がどうなるか分からない人間との比較の中で、自分の選択には微塵も疑念はなく、その想いは否定という形の刃を向けてくる。
「デザイナーなんて無理だろ」「人生終わったな」「美大・芸大も出ていない」「何やっとるだ」・・・就職面接官ならまだしも、本当に友人か?こいつらは。
どれだけ厳しい環境の中でも、精一杯やる。自分で必死にどうすれば理想的な職場で働くことができるか、考えて考えて考えた。
実践の中で、何を言われようが自分の信念は曲げない。自分で自分の道を切り開く。そんな風にして20年、なんとか生きてきた。
もう少し詳細に思い返してみたいと思った。時計の針を逆に回すようにして、20年前を回想していく。
就職氷河期世代・20代はフリーター(飲食)・実務経験なし・学歴なし・コネなし・金なし・希望なし・彼女なし・・・。なしなし尽くしのフルコンボ。
人生舐めるどころの騒ぎじゃない。将来の不安に潰されそうで、震えていた。
31歳、埼玉県所沢市。大手居酒屋チェーン店で働きながら、就職用のポートフォリオの改善を続け、深夜のバイト終わりの朝に、求人企業への応募メールを送信する。
応募企業を探し、ベースは用意できているが応募企業ごとに志望動機と自己PR文を変えていく。
諦めることも簡単だし、自分の限界を決めるのも簡単だ。「世の中は厳しい、所詮自分なんて・・・」と醒めた人間から脱落していく、そういうものだ。
バイト休みの早朝からスーツを着て、応募書類とポートフォリオを持って、面接会場へ向かう。埼玉県所沢市のプロペ通りを駅に向かって歩く。
居酒屋バイトの同僚の大学生の女子と出くわす。深夜バイト終わりに何人かで遊んでいたのだろう、実に愉快そうだった。
「おおっ」という表情。今を謳歌している学生と就活や生きることに必死な30歳。コントラストとクロスロード。同じ時期、同じ年齢の居酒屋フリーターは30歳を機に別の飲食チェーン店に就職すると聞いた。人生の選択。楽な方に流れるか、それとも逆風でも戦うか。
自分は戦い続けることに決めた。認めたくない、こんなところで終わってしまう自分を。
【人生=デザイン】デザインと出会って人生が変わりました。
そんな見出しから始まる志望動機の文章。誰がなんと言おうと、私のキャリアはエリートでもなんでもない。両親に大学や専門学校に通わせてもらい、デザインの道に進んでいる恵まれた周りのプロの人たち。
艱難辛苦(かんなんしんく)の四字熟語では収まらない、想像もできないような遠く困難な道。否定をされ続け、時には蔑まれながら、自分の道を切り開いてきた。確かにデザインと出会って人生が変わり始めたが、最初の10年は選んだ道を後悔しながらも、涙を流し、泥にまみれ、血を吐きながらとにかく続けてきた。
「お前人生終わったな」「どうせ無理だ」「すごすごと地元に帰ってくるんだろ」。。そんな言葉が何度も思い出された。
悔しい。長渕剛なら「電信柱にションベンひっかけて夢に未練タラタラ」と歌うんだろうな。
敗れ去った列車の中で見つけた希望
デザイナーとして初めて就職した事務所を、半年でクビになった。まだ誰も出勤していない事務所に出社して、自分の荷物全てを持って出てきた。
クビにした社長も、協力的でなかった他のスタッフとも、顔を合わせたくなかった。
デザイン事務所は赤坂・乃木坂駅出口の近く、乃木神社の隣のマンション一室にあった。現在は建物自体が建て変わっている。
その通り沿いには旧ジャニーズ事務所があって(元ソニーミュージックに移る前の3階建ての白いビルだった)いつも黒のベンツゲレンデが停まっていた。
その頃、事務所の前に出ていた人気絶頂期のSMAPの草彅剛くんや香取君の姿を遠目で見たことがあり、SMAPメンバーの中では一番好きだった草彅君が近くのローソンで立ち読みしていた時は、ぶったまげた。世代的には同じで、活動する場所も赤坂という場所で交錯するも、国民的スターと駆け出しのクビ寸前のデザイナー、声をかけることも当然できずにドキドキしていたことを思い出す。
そのコンビニには、残業に備えて夕方の買い出しによく行っていた。季節は冬だ。肉まんとカンロののど飴とミルクティー。それが定番で、その頃500円以内に収まっていた。今だと500円を超えるだろうけど、冬になると時々そのセットを買うこともある。
それ以降も赤坂のその道を歩くと、胸の奥がキューっとなる時がある。デザイナーとして歩み始めた最初の一歩が、苦い思い出と共に鎮座しているのだ。
ただ、誰にでもプロとしての最初の一歩がある。その一歩がなければ今の自分はいないのだ。

失意の中、西武新宿線の列車の中で田中一光さんの本を読んでいると、一つの文章が目に止まった。
「昭和を代表するデザイナーであっても、社会情勢の変化でクビになることもある。」そしてあの田中一光がクビになって恥ずかしく死のうと思った、ということも。その言葉に励まされ、私はもう一度立ち上がることができた。困難な状況の中でも、デザインには希望を見出せる力がある。それを確信した瞬間だった。
先日のYoutubeでは話せなかった、逸話。自信のなかった自分、突破できない東京での希望の就職先という壁、力強く励ましてくれたのが兄だった。
新宿での即席面接会:人生をストーリーにして語れ!

2年かけてやっと就職できたデザイン事務所を半年でクビになり、失意の中にいた私に兄からの電話があった。東京出張のついでに、新宿にいるから出て来いというのだ。
新宿アルタ前の辺りで待ち合わせることにした。遠くからでもイラついているように私には見えた。(いつもの怖い兄の姿だ)
近くの居酒屋に場所を移して、瓶ビールと煮込みを注文する。兄の目的は、私の就職活動状況を聞くことにあった。
うまくいかないどころか、自信も失っていた頃。それもそのはず、2年かけてようやく決めた就職先で、散々な目にあった上にクビを言い渡される。惨めだった。
惨めで自信がなく、これからどうしていこうか、そんな状態だった。コップに注がれたビールに少し口を付け、届いた煮込みを食べるでもなく眺めていると、
「・・・おいっ」「・・・えっ」「今から面接するから、答えてみろ。」いつも突然、強引な兄だった。
おずおずと質問に答える私。自信のない様。そんな状態では、どこの会社からも採ってもらえない。
「うーん。全然ダメ。何も伝わってこんなぁ。。」
「お前の人生を語れ。これまで一生懸命やって来ただろ。何にもしてこなかった訳じゃない、積み重ねてきたものがあるはずだ。誰よりも努力してきただろ。
それを相手に伝わるようにストーリーにして語れ。」と兄に言われた。
その瞬間、私は自分の人生をただの経験の羅列ではなく、一つの物語として捉える重要性を学んだ。
そして、何も武器がなくても、どんな場所でも、どんなすごい人が前にいても、堂々として開き直ることを覚えた。
この気づきは、その後のデザインの仕事にも深く影響を与えることになる。
後に、弟の将来を心配して、出張を調整して会いにきてくれていたのだと分かる。強い口調だが、それが当時の兄の優しさだった。
風向きが変わるきっかけが誰かの言葉ということがある。背中を押されたような、社会で結果を出し続ける兄の言葉によって、自分を鼓舞し、もう一度頑張ってみよう、そう思った。
運命の出会い:駆け出しデザイナーと若きトレーナー

原宿のゴールドジムに、一人の若きパーソナルトレーナーがいた。有馬泰康さん——後に日本を代表するパーソナルトレーナーとなる彼は、まだ駆け出しの頃だった。彼を紹介してくれたのは、兄。
日体大陸上部の後輩だった有馬さんの名刺とロゴ、そして事業コンセプトを手がける機会を、私にくれたのだ。
それは、私にとっても初めての個人案件。デザインの世界で生きていこうと決めたものの、まだ仕事を取るのに必死で、街を歩きながら名刺を配り、手当たり次第に営業していた日々だった。
そんな中で巡ってきたこのチャンスが、人生を変える大きな転機になるとは、その時はまだ気づいていなかった。
デザインが後押しする夢の形
当時のフィットネス業界は、いわゆるボディビルダーのような圧倒的な筋肉を持つトレーナーが主流だった。有馬さんは確かな知識とスキルを持ちながらも、そのイメージに引きずられ、自分の強みを明確に打ち出せずにいた。
私はデザイナーとして駆け出しだったが、ブランディングに関しては死ぬほど勉強してきた自負があった。そこで、有馬さんの「らしさ」を徹底的に掘り下げ、彼が本来持つ強みをブランドとして形にすることにした。
彼の身体は、陸上競技で鍛えられたバランスの取れた体型で、美しいシックスパックが際立っていた。それこそが彼の最大の武器だと確信し、ブランディングの軸を次の二つに定めた。
- 自身の肉体美をモデル業やコンテストの受賞などで売り込み、広告塔として知名度を上げる
- ビジネスマンやリッチ層の「人生の成功」を支援するパーソナルトレーナーとしてのポジションを確立する
成功とは、一朝一夕に手に入るものではない。鍛え抜かれた身体と同じように、努力の積み重ねによって築かれるものだ。そのコンセプトをSIXPACの屋号(当時)に込め、名刺やロゴ、カラーに反映させた。
名刺一枚が生んだ飛躍のきっかけ
名刺が完成し、新たな一歩を踏み出した有馬さん。その後の活躍は、もはや語るまでもない。彼は自身のブランディングを徹底し、磨き抜かれた身体と知識を武器に、多くのクライアントを成功へ導いた。
やがて彼のもとには著名人からの依頼が舞い込み、雑誌『FRAU』の表紙撮影のために、タレントの真鍋かをりさんが指名したことが、大きな転機となった。その後の彼の快進撃は、まさに進化の証だった。

些細なきっかけが、人生を変える
私が関わったことは、ほんの些細なことだったかもしれない。しかし、20年以上デザインの仕事を続けてきた今だからこそ言える。
「デザインとは、人の夢を形にし、可能性を広げる力を持っている」
人生には確証などない。どんなに努力しても、成功する保証はどこにもない。しかし、ほんの小さなきっかけや、人との出会い、そしてそれを活かそうとする姿勢が、未来を切り開いていくのだ。
あの時、まだ駆け出しだった二人が交差した瞬間が、こうして物語へと繋がったことを、誇りに思う。
現在はパーソナルトレーニングジム、株式会社EVOLVE. 創業10年を超え、更なる進化を遂げていく。
▼先日公開されたYoutube対談。20年必死で頑張れば人生は変えられる。
こんな風に笑顔で話せるようになるとは当時は思っていなかった。過ぎてしまえばあっという間、今を精一杯、楽しく生きるより他ないのだ。
▼もしよかったらご覧ください▼
フリーランスは上流を目指せ | デザイナーからデザイン経営へ 〜 デザインコンサルタント 〜 – フリーランスどお? #28 稲石 勝人
https://www.youtube.com/live/IaBqGqeCUtE
“ストーリーこそ、誰にも真似できない最強のプロダクト”
ライバルや競合が、決して真似できないもの。自分だけの武器のこと。
誰もが無理だと言った30歳でのグラフィックデザイナーの正社員就職。相棒のように抱えたB4ポートフォリオ。
「無理だ」「諦めろ」と浴びせられた言葉は、むしろ燃料になった。アドバイスは大切に聞きながらも、最後は自分の頭で考える。
誰のものでもない、自分の人生の選択だから。
“ストーリーこそ、誰にもコピーできない最強のプロダクト”
デザイナーやフリーランスの市場は広く、案件も星の数ほど転がっている。それでも指名が途切れないクリエイターは、スキルの高さより先に物語を持っている。
就職氷河期を逆走し、兄の“即席面接”で自分の人生を語り直した夜。原宿ゴールドジムで若きトレーナーと交わした名刺一枚の約束。
遅れた時間を取り戻すために3倍速で成長。そのためのフォントのトレースと先輩デザイナーのトレース。人が遊んでいる時に努力する。
折れそうになるたびに刻みなおしたこのエピソードこそ、検索アルゴリズムより深く人の胸に刺さるのだ。
Google は重複コンテンツを嫌う。読者もまた、量産されたノウハウでは動かない。だからこそ、あなた自身が歩いてきた傷跡と歓喜をストーリーテリングに昇華しよう。
それが「選ばれる理由」となり、価格競争から解放してくれる。
もし今日、この文章があなたのフィードに流れ着いたなら――
次の打ち合わせ資料に「数字」だけでなく、あなたが立ち上がった瞬間を一行だけ忍ばせてほしい。
ライバルが決して真似できない、世界でただひとつの武器。
それはあなたの過去と、まだ誰も知らない未来をつなぐ“物語”なのだから。
2025年10月17日にトキガラデザインは創業10年目を迎えます。
その前後に、時柄前夜vol.10を執筆予定です。
お楽しみに!!
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